寺宝・文化財

通元院は、徳川家との関係が深く、歴史的にも文化的にも重要な役割を果たしてきました。そして、その歴史と共に関連する多くの寺宝や文化財を当時の姿のまま所蔵しています。現在は通元院(瘡守稲荷)で直接見られる物と、龍原寺にて保管している物があり、徳川家や江戸時代の歴史や文化に触れることが出来る貴重な資料となっています。

港区指定文化財元禄七年銘 納経石塔

前面右側に観音菩薩、左側に不動明王の二尊を浮き彫りにした石塔で、元禄七年(1694年)に造立されたものです。この時期の石造物としては比較的大きく、観音菩薩・不動明王の二尊像は、ほとんど風化せずによく残っています。
背面にはこの石塔の由来を示す136字からなる明文が刻まれています。それによると、元禄六年に大蔵経を納める経蔵の蔵司の居処を定め、その地を守るために蔵司の発願で翌年この石塔を造立したことがわかります。このように、この石塔は増上寺への納経に関わって造立された石造物として貴重なものです(以上、港区教育委員会による説明書きより)。
観音菩薩は大いなる慈悲の心で人々を見守り、不動明王は憤怒の表情で仏法を守り人々を導く。一見、両極にある二尊がこうして並んでいることは不思議に思えますが、両者とも「衆生救済=人々を救う」という大乗仏教の根幹を表しており、長年にわたり人々の信仰を集めてきているのです。

背面銘文

武州増上教寺者浄家十八叢林冠首幕下将軍累世帰依之霊場場也
東照神君家康公命近臣今納三大蔵経矣元禄六癸酉■秋■貞譽大和尚
通宮家以此地永須辨職蔵司者為居虜也余有■願彫刻於観世音不動
明王之石像擁護遐代祈祈の之頌

示現二尊雄 眞心法界宮
譫敬離悪趣 福寿垂無窮

元禄七甲戌歳二月廿八日 三緑山蔵司 自信謹詰

無病息災 大願成就瘡守稲荷

疱瘡(天然痘)や皮膚病(できもの・腫れ物)避けや治癒の他、開運や大願成就のお稲荷様として旧通元院の敷地に祀られていたお稲荷様です。江戸時代の以下の話しが伝えられています。
元禄年間(1688年から1704年)、單笛という一人の修行中の浄土宗僧侶がいました。修行を重ね、次第に多くの人々と接する機会が増えるにつれ「疱瘡の影響を受けることを避けた方がよいな」と考えるようになり通元院内の稲荷社に祈願を行いました。するとある晩「名を瘡に借り、瘡に託して祈念するならば、必ず利生利益あるべし」と霊告をうけたのであります。そのお告げの通り、單笛が一心に稲荷社へのお勤めを続けたところ、疱瘡にかかっても予後もすこぶる良好でありました。單笛がそのことを諸人に伝道すると多くの人が信仰・参拝するようになり、稲荷社の堂宇も再建され、参詣の人々もあまねく利益を受け、また各地の縁のある寺院に分身されて信仰を受けることとなりました。單笛自身もその後、増上寺の山内学頭に選ばれ、さらにはいずれも関東十八檀林(浄土宗の僧侶養成を担った大きな寺院)の滝山大善寺(東京都八王子市)第二十六世住職、新田大光院(群馬県太田市)第三十九世住職、小石川伝通院(東京都文京区)第三十八世住職を歴任し紫衣を着ることを許される高僧となったのであります。單笛はそうした出世もひとえにこのお稲荷様の冥護であると瘡守稲荷への崇敬を生涯続けたといいます。 (上記の所以は『三縁山志』より、一部改)

於 龍原寺

現在、御本尊はじめ通元院所有の宝物は三田・龍原寺に於いて大切に保管されています。これらは、通元院の歴史的背景や文化的価値を示すものであり、非常に重要な存在です。また、地域の歴史と伝統を今に伝える貴重な文化遺産として、未来にわたって守り続けるべき財産です。

通元院 本尊阿弥陀如来 立像

通元院 所蔵品葵紋長持

通元院 所蔵品古書物